真木くるみのブログ

仙台で演劇をしている学生👩‍🎓

帰り道

 わたしはスタジオを出たら、駅まで歩いて、駅から駅まで電車に乗って、駅から自転車に乗って家に帰ります。

 

わたし、自転車に乗っている間が怖いんです。

転ぶかもしれない、とかそういうことではなくて。確かにわたしは高校生まで自転車にうまく乗れなかったけど、運動とか苦手だけど。でもそういうことが理由じゃないんです。

 

なんか、後ろに誰か乗ってる気がする。

 

何回も後ろを見たし、背中になんの感覚もないことは確かめたし、誰の体温も感じないのに。

 

一回だけ、見間違いをしたことがあるんです。

 

建物沿いに自転車を走らせた時、建物の窓から溢れる光がわたしの影を作りました。窓ガラスの向こうに何か貼り紙がしてあって、その貼り紙の影が偶然わたしの自転車の後ろに重なったんです。わたしはそれを人影だと勘違いしたんです。一瞬でした。驚いて振り返って、すぐに正体も知って、誰もいない、わたししかいないって理解しました。

 

でも、その時からずっと、後ろに誰か乗ってる気がする。同じ道を通ると、同じように影ができて、わたしは後ろに誰かいると錯覚してしまう。あの貼り紙はとっくになくなってるし、本当は影なんてできてないのに。

 

本当は誰もいないのに、後ろにいる誰かを振り切るようにわたしは思いっきり自転車を走らせるんです。

 

いっそ誰かが教えてくれたらいいのに。

「あなたの後ろには誰もいないよ」って。

そしたらこの夢も覚めるのに。

 

自分で作った自分の影に怯えて、一瞬の勘違いだって自覚した後も怖くて怯えて、でもそんな夜中にわたしに声をかけてくれる人なんていなくて。

 

でも、この感覚から逃げ出したい、怖い、って思うけど、心のどこかでこの怖さを愛しいと思ってる自分もいるんです。

 

この怖さはただの夢で、わたしのあの一瞬の恐怖が何度も繰り返し再生されてる映像で、わたしはそこから逃げられないだけの、そんなつまんない夢で。

 

誰かに「あなたの後ろには誰もいないよ」って言われたら、わたしこの夢から覚めると思う。夜道で自転車を走らせることが怖くなくなると思う。

 

本当はもう怖くないんだと思います。言語化してこのブログに書けてる時点で自分の中で夢と現実の区切りはつけられてると思います。

 

でもまだ怖いって思うんです。思いたいんです。夢に現実が現れて、どんどん夢を現実が侵食して、わたしはみんなが歩いてる「なにもいないただの夜道」に出会うかもしれない。

 

わたしだけの怖くて愛しい特別な帰り道がなくなってしまう。怖いと思うのも逃げたいと思うのも本心だけど、なんの意図もなく偶然で作り上げられたわたしのこの恐怖は、紛れもなく奇跡だと思うんです。

 

もう少し、大事にしてあげてもいいかなぁ。

誰にも迷惑かけないし。

 

自転車で転んで怪我しないようにだけ気をつけたいですね。