真木くるみのブログ

仙台で演劇をしている学生👩‍🎓

感想というか、なんでもない話です。

燃え盛る火を見ました。

船のような藁のかたまりを徐々に侵食していく、そのさまは生き物のようでした。

 

火は下から上へ体をくねらせながら上り、思いっきり背伸びをしたところで体を黒い煙に変えます。火はとても大きく圧倒的な存在でしたが、よく見ると小さな糸というか、生き物でいうとミミズみたいな、そんな小さな生き物が密集してふくれあがって大きく見える、私にはそんな風に見えました。イワシの群れを思い出しました。

ミミズは藁と藁の間に潜り込み、船を内側からも食いやぶっていきました。人のいる方に火が体を伸ばしすぎると、係の人が水を火にかけ、火の勢いを弱めようとします。しかし水を浴びた火は係の人とは反対の方向により勢いを増して進みます。それは私が人生で何度も出会った光景でした。強者が弱者を攻撃し、弱者はまた自分より弱いものを攻撃する、よく見る連鎖。

火は生き物ではありません。

ですが、酸素を貪り船を腹におさめていくあの姿、高くのぼり時には弾けて他者を圧倒するあの姿、あれを生き物と呼ばずしてなんと呼ぶのか、私にはわかりませんでした。

わかりませんでした。

1番強い生き物って、本当はなんなんでしょう。

 

まぁ、ただの、火を見た感想なんですけど。感想にも満たないような。

 

 

 最近色んなこと考えてて、文字に起こしたい気持ちはあるんですけど、文字に起こしてネットに載せて良いようなことを考えていないんですよね。

 わたし女子大生なので、大学の友達と下品な話ばかりしているんですけど、どの話も下品でくだらなくて少しだけ切ないなぁって思います。

 

突飛ですが、火とか水とか、当たり前に生きるために存在するもの、人間の感情に置き換えたら恋とか愛とかそんな類な気がするのです。繁栄のために必要なものではなく、ただ生きるために必要なもの。ヒトは道具をつくる生き物ですが、この感情もある種の道具だと思うんです。

火と水、どっちが恋でどっちが愛でしょうか。

 

 「大好き」と「愛してる」の違いってなんなんでしょう、結局自分で自分の感情をカテゴライズして名前をつけているだけだし、その感情は飼い慣らした途端に違うものに姿を変えてしまうんじゃないかなって思うんです。

 

 水があるから火は危険じゃなくなるかと言われたらそんなわけないし、水は火を殺せるから優しい存在だってわけでもないし、火より水が危険かと言われたらそれも違うし、恋と愛のどっちが強くてどっちが弱くてどっちが危険かはわからないんですよね、どっちも内側からわたしの体を食い荒らす強大な生き物で、わたしはそれに抗えないし、かといってわたしが飼いならされてしまうわけにはいかないし、でも飼い慣らした途端それは名前を変えてしまう。でもその感情はわたしにとって水とか火とかと同じように当たり前なもので、常につきまとってくるものです。

 

なんて。