真木くるみのブログ

仙台で演劇をしている学生👩‍🎓

欲しいもの

 わたしは今月の2日に誕生日を迎え、めでたく二十歳になりました。

両親はそんなわたしに「ブランド物でも貴金属でもいいから、欲しいものなんでもあげる」と言いました。

でも別にこれといって欲しいものはありませんでした。

 

わたしはなんとなく「パスポートが欲しい」と言いました。

両親は笑って、「もっと一生使えるものにしなさい」って言いました。

わたしは今も欲しいものを決められていません。

 

ブランド物の価値はどこにあるんでしょうか。もちろん高いものには高い理由がある、それはわかるけど。

たぶん、その価値は、素材にあって、作りにあって、名前にあって、人にある。みんながそのブランドを認めてそこに価値を見出すから、ブランドはブランドでいられて、高い値段を付けられる。

 

じゃあ、わたしの価値ってなんだろう。

 

ブランドものを持てば、ブランド物の価値に紛れて自分も強くなれるんだと思う。だって高いアイシャドウをまぶたに乗せてる日は、すごい強くなった気がする。単純だから。

でも、それって別に私が強くなったわけでもなければ、私の強さでもないんですよね。

 

自分で確かにできない自分の輪郭を、アイテムの力を使ってハッキリさせようとして。でもそれって自分の輪郭をなぞったわけじゃなくて、自分をアイテムの輪郭に押し込んだだけなんじゃないかなと思ってしまうんです。

 

強さに必要なのって、しっかりした輪郭だと思います。輪郭を持ってないと、ちっちゃい石ぶつけられただけでグニャって凹んじゃうと思うので。

 

でも、わたしってもっと、ふにゃふにゃしてて、さらさらしてて、触ると崩れるし潰そうとすると変なしこりがあって、もっともっと面倒な生き物なんです、ブランドものが持てないくらいに面倒な生き物だと思うんです。

 

 

だからわたし、自分の証明書が欲しい。わたしの存在に輪郭を持たせてくれるものが欲しい。ブランド物も貴金属もわたしに型をくれるけど、わたしの輪郭はぼやけたまま。

 

なんか、わたしパスポートが欲しくなったんです。用途はそれだけではないけれど、異文化の全く知らない世界を見てみたかったんです。わたしの輪郭を作るための要素になるかなって思ったんです。別にパスポートが欲しかったわけじゃないんです。

 

二十歳になって、子供の頃を振り返ると、あの頃と比べて見えないものがあまりにも多いなと思ってしまいます。あの頃には絶対戻りたくないけれど、あの頃が消えていくのは自分が消えていくみたいで怖いです。

でも、あの頃に戻るためには今持っているものを全部投げ捨てなきゃならないんです、むむむ。

 

だから、わたしは誰に投げられた石にも歪められない輪郭が欲しいんです。

 

でも、人って流れて溜まってまた流れるもので、確実な輪郭なんて持てないんじゃないかなとか思ったりします。

 

「もっと一生使えるものにしなさい」

 

一生使えるものって、本当はなんなんだろう。

だから、わたしは今も欲しいものを決められていません。